宝石のようにキラキラと美しいこんぺいとう。しかし初めて日本が出会った頃のこんぺいとうは、今とはかなり異なる姿だったといいます。どのようにして今日のこんぺいとうになったのか、その歴史を紐解いてみましょう。
海を渡って日本へ伝わったこんぺいとう
日本の伝統菓子であるこんぺいとう。その発祥はポルトガルであり、名前もポルトガル語で砂糖菓子を意味する「コンフェルト」が語源となっています。安土桃山時代、日本はキリスト教の宣教師や貿易商人によってもたらされた西洋文化が花開きました。さまざまな南蛮の物品が日本へ流入し、その中にこんぺいとうも含まれていたのです。
初めてこんぺいとうを食べた日本人とは?
日本でこんぺいとうを初めて口にしたのは、織田信長であると記録に残っています。1549年、ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが二条城へ訪れた際に、信長への贈り物としてろうそくと一緒にフラスコに入ったこんぺいとうを献上しました。甘党であった信長はこんぺいとうをとても気に入り、その後何度も取り寄せたといわれています。
美しい宝石のような姿へ
こんぺいとうは、その後の南蛮貿易で長崎から日本中へと広まっていきました。江戸時代に入ると日本の職人によって盛んに作られるようになり、その姿も洗練されていきます。伝来当時のこんぺいとうはゴツゴツとした白い球体のお菓子でしたが、日本人の手によって今のような突起のある色とりどりの美しい姿に変わっていったのです。
ポルトガルから伝わった南蛮菓子であったこんぺいとうは、日本の職人の手によって独自の変化をとげ、現在の宝石のような姿になりました。見た目もさることながら、栄養価が高く日持ちがするこんぺいとうは贈り物としても最適です。伝来当時のこんぺいとうに思いを馳せながら、ぜひ楽しんでくださいね。